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大阪高等裁判所 昭和28年(ネ)644号 判決 1957年3月26日

控訴人 川口善次

被控訴人 近谷ヒデ 外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人等は控訴人に対し、和歌山市宇治鉄砲場百十二番地上木造枌葺平家建居宅一棟建坪十八坪二合五勺を明渡せ。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。

この判決は控訴人において被控訴人両名(共同で)に対し金五万円の担保を供すれば仮に執行することができる。

事実

控訴人代理人は、主文と同旨の判決並に担保を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴人等代理人は「控訴棄却」の判決を求めた。

控訴人代理人は請求の原因として、「控訴人は予て近谷由郎に対し十四万五千円の債権を有していたところ、昭和二十六年八月十日同人との間に右債権額を十万円に減額し、これを担保するため同人よりその所有の主文第二項記載の建物(以下本件家屋と称する)竝に木造扮葺平家工場建坪三十五坪及び右工場内の機械器具等を買戻約款付で譲渡を受け、買戻期限を五ケ年と定め、右買戻期間中同人に対して右家屋竝に工場等を無償で使用させることの売渡担保契約を結び、控訴人は同日右家屋竝に工場等の所有権を取得すると共にその所有権移転登記を受け、近谷由郎は引続き右家屋竝に工場等を使用していた。

しかるに、近谷由郎は昭和二十七年五月十五日右担保物の一部たる工場に放火してこれを焼失させた。これがため近谷由郎は民法第百三十七条第二号によつて前記債務の弁済期限の利益を失うと同時にその担保物件の買戻期限竝に使用貸借期限の利益も失うに至り、当然使用貸借契約は終了したから控訴人に対して焼失を免れた本件家屋一棟を明渡さねばならないことになつた。その結果右近谷由郎の妻である被控訴人近谷ヒデ、同長男である被控訴人近谷敏夫は右家屋に何等の権原なく居住してこれを占有することゝなつたから、控訴人は被控訴人等に対して所有権に基いてその明渡を求める。

仮りに近谷由郎が右放火によつて期限の利益を失わないものとしても、控訴人と近谷由郎との間に前記譲渡担保契約後昭和二十七年四月五日被担保債権十万円につき近谷由郎は同年四月末日より毎月末五千円宛分割して弁済することの約束ができたのであるところ、同人はその後一回も右分割弁済をせず、すでに最後の弁済期も過ぎているのであるから、当然使用貸借契約も終了しているわけである。

尚仮りに以上の理由がないとしても、近谷由郎に本件家屋を使用させたのは返還の時期竝に使用目的を定めずしたのであるから、控訴人は本訴を以つてその家族である被控訴人等に対し民法第五百九十七条第三項に基いてその返還を求める。それ故以上いずれの点から言つても被控訴人等は控訴人に対して本件家屋を明渡す義務がある。」と述べ、

被控訴人等の答弁に対し、「被控訴人等の主張するように近谷由郎が未だ本件家屋に対する買戻権を有するとしても、同人が未だ買戻権を行使しない限り本件家屋は控訴人に所有権があるのであつて、控訴人は右所有権に基いて明渡を求めるものであるから、被控訴人の主張する買戻権の有無に拘らず、被担保債務の弁済期日の到来により使用貸借の終了している以上、控訴人は被控訴人に対してその明渡を求めうるものである。

近谷由郎は放火罪により服役し、強制的に自由を束縛されているものであるから、最早や本件家屋を占有するものではなく、家族である被控訴人等が直接本件家屋を占有するものであるから被控訴人等に対して、その明渡を求めうることは当然である。

被控訴人等は本件明渡請求は権利の濫用であると主張するが、控訴人は近谷由郎に対する債権を前記のように減額して本件売渡担保契約を結んだのであるのに、同人は右担保物件に自ら放火してその一部を焼失させるような不誠意なことをしたのであるから、かゝる不誠実な債務者こそむしろ信義則に違反するものであつて、これに対し自己の正当な権利を擁護するためにする控訴人の本件明渡請求は何等権利濫用とはならない。」と述べ、

被控訴人等代理人は答弁として、「被控訴人近谷ヒデが近谷由郎の妻、被控訴人近谷敏夫が同長男であること、被控訴人等が現在本件家屋に居住していること、近谷由郎と控訴人との間にその主張の日金十万円の債務につき控訴人主張の物件を目的とするその主張のような買戻約款付売渡担保契約を結び、同時に由郎はその目的物件を無償で使用しうる旨の契約が成立したことは認めるがその使用貸借は右買戻期間中に限るものではなく、それとは関係なく期限の定めのないものである。

被控訴人等は右近谷由郎の家族として本件家屋に居住し現在右由郎の不在中留守を守つているにすぎない。従つてたとえ控訴人主張のように近谷由郎に於て本件家屋に対する使用権がなくなつたものとしても右家屋の占有者は由郎であつて、その家族として独立の占有者でない被控訴人等に明渡を求める控訴人の本訴請求は先ずこの点に於て失当である。

また売渡担保の目的物件は本件家屋竝に工場等であるところ、工場は近谷由郎の放火によつて焼失したが被担保債権を担保するに十分な時価二十万円以上の本件家屋が残存している以上右由郎の放火を以つて民法第百三十七条第二号に謂う担保物件を毀滅した場合に当らない。

仮りに近谷由郎の右放火を以つて担保物件の毀滅に当り、従つて被担保債務につき右由郎が期限の利益を失つたとしても、買戻約款付の方法でなされている本件売渡担保契約の内容に何等変動を来すものではないから、右由郎は右弁済期限の喪失により買戻期限の利益を失わず、その約定期限内は当然本件家屋を使用しうるのである。

また仮りに控訴人の主張するように被担保債権の弁済期日が五ケ年の買戻期限内に到来する約定であつて、すでにその期限が到来しているとしても、この場合においても前叙のように被担保債務の弁済期の到来は担保物の買戻権や使用権の存続に何の消長も及ぼさないのである。

尚仮りに由郎が放火によつて買戻権を失つたとしても、前記のように当初の契約に於て期限の定めのない使用貸借契約をしたのであるから買戻期限の到来によつて当然に右使用貸借契約は終了するものではない。

尚本件家屋は由郎居住占有のまゝで売渡担保に供されたのであるから、かゝる場合には特に反対の特約のない限り、買戻期限を過ぎても尚引続いて被控訴人等は本件家屋を使用しうるものと解すべきである。

以上いずれの点から見ても近谷由郎は本件家屋の使用権を有しその家族である被控訴人等はその権限内において本件家屋を使用しているのであるから、控訴人に対して明渡す義務はない。

仮りに百歩を譲つて以上の理由がないとしても、控訴人が近谷由郎の刑に服役中であるのを奇貨としてその妻子である被控訴人等に対して生活の本拠である本件家屋の明渡を求めることは権利の濫用であつて許されない。」と述べた。

証拠として、控訴人代理人は、甲第一号証ないし同第五号証を提出し、控訴人本人の尋問の結果を援用し、被控訴人代理人は証人近谷由郎の証言を援用し、甲第一号証ないし同第四号証はいずれも成立を認める、同第五号証は官署作成部分は成立を認めるが、その他の部分は不知と述べた。

理由

本件家屋が現在控訴人の所有であること、右家屋に被控訴人等が居住していること、被控訴人近谷ヒデが近谷由郎の妻、被控訴人近谷敏夫が同長男であることは、いずれも当事者間に争がない。

被控訴人等は近谷由郎の家族として同人の右家屋に対する使用権限の範囲内においてこれに居住しているのであるから、独立して右家屋を占有しているものではないと主張することからこの点を考えるのに、右近谷由郎が現在刑務所に服役中であることは当事者間に争のないところであつて、証人近谷由郎の証言によると、近谷由郎は数年間刑に服すべく昭和二十七年十月二十五日大阪刑務所に収監される際本件家屋に家族として同居中であつた被控訴人等をそのまゝ居住させて不在中を守らせることゝしたことが認められる。住宅等の通常の留守番は一般に占有の機関であつて、独立の占有者でないと見るのが相当であらうが、右由郎は外部との交通の自由を制限せられる刑務所に収監され少くとも数年間は刑に服する者として妻や長男に不在中を守らせたのであるから、かくして後事を託された被控訴人等は単に占有機関に過ぎないと見るよりは、由郎に代つて本件家屋を直接に占有しているものと見るべきである。尤も被控訴人敏夫の年齢如何が同人に関する右判断を左右するのであるが、同人が、由郎の服役の当初において既に後事を託されるに足る年齢に達していたことは前記証人の証言及び本件口頭弁論の全趣旨(被控訴人敏夫が本件訴提起当時である昭和二八年四月六日において成年者であつたことにつき何の争もない)に徴し明であるから、本件家屋は由郎が服役に際し、これに代つてその留守中の一家の中心の地位にある妻及び長男である被控訴人等に共同して本件家屋の管理を委ねて占有させたものと言うべきである。この点に関する被控訴人の前記主張は理由がない。

そこで被控訴人等の右由郎のためにする本件家屋に対する占有が控訴人に対抗しうる正当な権原に基くものであるかについて検討する。

控訴人主張の日近谷由郎と控訴人との間に近谷由郎の控訴人に対する十万円の債務の支払を確保するため由郎所有の本件家屋並に控訴人主張の工場等を買戻約款付売渡担保として控訴人に所有権を移転すること、右債務の弁済期日を五ケ年後とし、担保物件の買戻期間を五ケ年とする売渡担保契約を結び、同時に控訴人は右由郎に対して引続き右工場並に家屋等を無償で使用させることを約したことは当事者間に争がなく、控訴人は近谷由郎に対し右家屋工場等の無償使用を認めたのは同人が買戻権を行使しうる期間内と約したと主張し、被控訴人等は使用期間の定めのない使用貸借であると主張するが、右使用期限については特に当事者間に約定したことを認めうる何等の資料はなく、むしろ証人近谷由郎の証言によると、控訴人と近谷由郎との間に前認定の売渡担保契約をした際には双方共使用期間に関して何等の話合いもしなかつたことが認められる。およそ右のように買戻約款付売渡担保物件を債務者に使用させる約旨は特別の事情のない限り、買戻期限内に限る趣旨と見るのが相当である。けだし右のような担保契約において担保提供者が目的物の使用収益を許されているのは、所有権の移転が、一つに債権担保のためであり、債務の弁済即ち買戻による所有権回復の可能性が留保せられていることに基礎をおくものであるから、一たび担保権が実効を現わし債務者が買戻権を喪失し、債権者が債権の目的に代るものとして確定的にその所有権を取得した以上、最早債務者は右使用収益の基礎を失うたものと見るべきであるからである。しかして前認定のような買戻約款付売渡担保契約に於ては債務者の弁済による債務の消滅と買戻による所有権の債務者への復帰が表裏の関係に立つものであつて、債務の弁済期限と買戻期限とは通常一致すべきものであるから、若し何等かの事由によつて債務者が債務の期限の利益を主張しえなくなつた場合には当然買戻期限の利益をも失うものと解すべく、債権者は目的物件の所有権を確定的に取得し、これによつて債務も消滅に帰するものと言うべきである。

ところが近谷由郎が昭和二十七年五月十五日前認定の売渡担保物件の工場に放火してこれを焼失させたことは当事者間に争がない。さすれば近谷由郎がそれにより叙上被担保債務の弁済期の利益を失つたことは明白である。

被控訴人等は本件売渡担保物件の中工場が焼失しても焼失を免れた本件家屋のみで本件被担保債権に対する担保価値は十分であるから右放火を以つて担保を毀滅又は減少した場合に当らないと主張するが、たとえ残存物件の価値が被担保債権を担保するに十分であつても一旦売渡担保として控訴人に提供した物件に自ら放火してその一部を焼失せしめるが如き近谷由郎の行為は債権者である控訴人に対する重大な不信行為であつて、かゝる不信行為のある以上民法第百三十七条第二項に当るものと解するを相当とするから、被控訴人等の右主張は理由がない。

しかしてかくの如き債務者の不信行為によつて弁済期限の利益が失われた場合には、その債務弁済確保のために提供された売渡担保物件につき定められた買戻期間も最早主張し得ないものと解すべきである。そうでなければ、一方債務は弁済すべき状態にありながら、担保の終局的目的は依然実現されない状態におかれるからである。

かくして由郎は本件建物の買戻権を失い、従つてその権利を有する間に限り許された使用収益権をも失うに至つたことは明白である。

果して以上の通りとすると、被控訴人等が近谷由郎に代つて本件家屋を占有するに至つた当時右由郎はすでに控訴人に対して本件家屋を占有するにつき正当な権原を有しなかつたことは明かであるから、被控訴人等もまた本件家屋の所有権者である控訴人に対抗しうべき何等の権原なく本件家屋を占有するものというべく、控訴人に対しこれを明渡さねばならないことは当然である。被控訴人等は控訴人の本訴請求は権利の濫用であると主張するが、たとえ被控訴人等の夫であり父である近谷由郎が服役中とは言え、叙上認定の事実関係の下に於て控訴人が被控訴人等に対して本件家屋の明渡を求めることは権利の濫用とはならない。

以上の通りであるから、被控訴人等に対して本件家屋の明渡を求める本訴請求は理由があるから認容すべきであり、これと異る原判決は取消を免れない。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十六条第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石井末一 坂速雄 喜多勝)

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